裏風俗「ちょんの間」のシステムを解説!

風俗店には風営法の定めに応じて公安委員会に届出を出している一般的な風俗店と、料亭や飲食店を装って運営されている、いわゆる裏風俗に分けることができます。

 

その中でも今回はちょんの間について解説していきたいと思います。ちょんの間は裏風俗の代表格として特に有名なものです。

ちょんの間って何?

ちょんの間とはセックスができる店舗型の裏風俗です。かつての赤線・青線地帯で営業していたお店が多く、旅館や料亭という建前をとって、今も営業しています。

 

語源は「ちょっとの間」という意味で、お客さんは15分からという非常に短い時間でセックスを楽しむことができます。

 

近年は減少傾向にありますが、全国各地の限られたエリアには、まだちょんの間のお店が軒を連ねて、さながら遊廓のような雰囲気を残しています。最も有名なのが大阪にある飛田新地です。

ちょんの間ってどこにあるの?

先程も書いた通り、ちょんの間とはかつての赤線・青線地帯に多く存在する本番系の裏風俗で、多くは旅館や料亭という建前で営業しています。

 

ちなみに赤線・青線地帯とはいずれも、1958年の売春防止法の施行前までに日本各地に見られた風俗店の密集地のことを指します。赤線は性風俗店営業の許可を取って営業していた地域のことを、青線は性風俗店営業の許可を取らず、保健所から飲食店の許可を受けただけで営業を続けた地域のことを指します。

 

そして現在、ちょんの間は飛田、今里、松島(以上大阪市)、滝井(大阪府守口市)、かんなみ(兵庫県尼崎市)など、関西地域に特に多く点在し、俗に「新地」と呼ばれています。

 

かつては横浜の黄金町や「田んぼ」と呼ばれた東京・町田のちょんの間など、首都圏にもいくつか存在しましたが、2000年代に入り、各地で街の浄化作戦が行われたために、現在では川崎に数軒が残る程度となってしまいました。

 

その中でも現在、日本で一番有名、かつ賑わっているちょんの間街と言えば、やはり飛田新地だと思います。

 

飛田新地はJR天王寺駅の南西に位置し、1916年に大阪市西成区山王3丁目一帯に遊郭が築かれました。昭和初期には200件を超える遊郭で栄え、戦災を免れたため戦後も赤線として残り、現在もなお、約150店のお店が営業しています。

ちょんの間のシステム

では、日本で最も有名な飛田新地を例にあげて、ちょんの間のシステムを紹介したいと思います。

 

飛田新地には、2階建ての昭和の「料亭」のような風情ある建物が立ち並び、各店の玄関ではスポットライトを浴びながら女の子たちが座り、通りがかるお客さんから選ばれるのを待っています。このように、女の子が店先でお客さんに姿を見せる行為を「張り見世」と呼びます。

 

彼女たちの横には、「ヤリ手ババア」と呼ばれる中高年のオバちゃんがセットで立ち、軒先ではオバちゃんが威勢よく客引きをしています。「遊んでってや」とか「お兄ちゃん、寄ってって〜な」などとお客さんに声をかけるのはヤリ手ババアの役目です。

 

ちなみにお店の引き戸は開け放されており、その中に女の子がライトに照らされて座っています。このとき座ってる女の子がお客さんのお相手をすることになります。

 

お客さんがお店に上がるまでは、女の子は決して声を発することがありません。軒先にいるオバちゃんは女の子のマネージャーのような役割を果たしているのです。

 

飛田新地では、一軒のお店には2〜3人の女の子が出勤していますが、軒先に座っているのは一人だけです。

 

10分間隔ほどでローテーションして女の子が交替していきます。それくらいの時間が経って、再びお客さんが同じお店の前を通っても、違う女の子を品定めできるようになっているという訳です。

 

お客さんは数十店を行ったり来たりしながら、自分のタイプの女の子を決めてお店に入ります。写真指名はなく、リアルなルックスだけを見て決めるのです。

 

なお、飛田新地だけで100〜150人ほどの女の子が出勤しているそうです。飛田新地に勤めてる女の子はルックスのレベルが高いと評判です。中にはタレント級のルックスをした女の子もいるようです。

 

そんな飛田新地は、若くて容姿レベルの高い女の子が多く在籍してるお店が並んでる通りが「青春通り」、熟女が在籍するお店が多い通りが「妖怪通り」と呼ばれるなど、通りによって趣が違うのが特徴です。

 

ちなみに同じ大阪のちょんの間でも、滝井新地は一軒のお店に女の子が5〜6人一斉に張り見世を行っており、今里新地の場合は実際の女の子を見て選べないようになっています。

 

このようにちょんの間は街ごとにそれぞれの文化を形成しています。

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